不気味で素朴な囲われたきみとぼくの壊れた世界2009-05-09

西尾維新    講談社ノヴェル    800円

そうたいして面白いと思わないのに、なぜか続けて読んでいる。
そういうシリーズをいくつか抱え込んでしまっている。
彩雲国物語然り、覇者の戦塵然り。この『きみとぼく』シリーズもそうだ。
西尾維新をミステリに分類する慣わしがあるようだが、
本格推理全盛期の読み手としては、このシリーズのどこを指してミステリと称すべきか悩んでしまう。
確かに体裁はミステリのようなところがある。
でもそれは村上龍をしてSF作家というほどの意味でしかないのかと思う。
でも、そう思うことが、著者の想定範囲なのかもしれない。
この著作は、成熟した大人からは拒否反応しか惹き起こさないのではないだろうか。
中途半端な大人であるぼくは、大人の部分で拒否し、子供の部分で受け入れている。
そういう感じなのかもしれない。
登場人物たちの歪んだ心理状態を不気味とまでも断定できず、共感には程遠い。
西尾維新の駄洒落的センスは面白いとは思いもしない。
言葉遊びも白々しく映る。
でも、かつてはスラプスティック小説などを好んでいたし、
筒井さん大好きだったから、
西尾維新が試していることを否定するほどでもない。
でも響かない。どうしようもなく退屈に感じる冗長さに悩む。
結論だけ言えば、絶対駄作でしかありえないと思っている。

シリーズ第2作に登場した串仲弔士が教員として登場する。
第2作で落命した病院坂迷路のバックアップという同僚を語り手に、
弔士の赴任した私立千載女学園で起きる教員連続殺人事件の犯人探しが始まる。

本格ミステリと銘打つが、ミステリとしての要素は叙述トリックのみ。
こういう成り立ちではミステリとして楽しむことはオールドファンにはできっこない。

バックアップという言葉に騙され、性別を錯覚させるあたりと、
串仲弔士の言葉の支配力が物語の鍵。
こんなんでいいんかい?