ふるさと納税は社会に必要なの?2020-10-04

ふるさと納税は
「ふるさとで医療や教育等様々な住民サービスを受け育っても、
多くが都会で雇用されるため、地方の人口流出を生み
地方自治財政がひっ迫するなか、
地方活性化に資するよう設けられた制度である。

総務省ではその制度概要を次のように記している。
「都道府県・市区町村に対する寄附金のうち、2,000円を超える部分について、一定限度額まで、原則として所得税と合わせて全額が控除されます。」
無尽蔵に寄付できるわけではなく、
所得・家族構成により上限が定められる。
上限額の目安は単身世帯で、
年収300万円なら2.8万円、年収550万円なら6.39万円、
年収1000万円なら17.6万円、年収2000万円なら56.4万円となっている。これらは寄付能力という点で見れば妥当なのかもしれないが、
逆進性を疑う人もいる。
特に返礼品が豪華になることで批判がより強くなっている。
年収300万の人なら7千円の、
年収1千万円の人なら5万円の返礼品を受け取り可能なのだ。
たった2000円の実費で。
寄附金の使い道について特段の制約はなく、
自治体によっては目的別に募集するなどされ、
ふるさと納税を行う人が使途を選択できる例もある。

ふるさと納税は制度発足からしばらくは寄付額は低迷していたが、
2014年ごろから飛躍的に拡大し、
2018年には5700億円を集めるまでに成長している。
その経過の中で返礼品の豪華さが際立つようになり、
ついに総務省が返礼品競争に対して黙視しきれず、
大阪府泉佐野市などに制度から除外の鉄槌を下すことになった。
だが、その国の除外措置が法廷で否定されるという落ちまでついた。
ふるさと納税の持つ制度的安定のなさが産み落とした笑えない話だ。

ふるさと納税が急伸することは、
国税・地方税がそのぶん失われているということでもある。
このことを危ぶむ自治体首長も、都市部を中心に生まれている。

実のところ、僕は制度への関心が薄かったので、
適用範囲が助成などは可能となるだろうくらいは想像できたが、
産業誘致のための補助金も可能だとは知らなかった。
無知は怖いし、無知からの錯誤も生じる。
先の二つの記事は、そういったものが含まれる。
だけれど考えのベースは、錯誤なりがあっても変わらない。
だから訂正もしない。お叱りを受けるのは仕方がない。

総務省の支援事業には、次の2点が2017年度に書き加えられている。
<ふるさと起業家支援プロジェクト>
地域経済の好循環の拡大が図られるよう、地方団体がクラウドファンディング型のふるさと納税を活用し、起業家に対して資金提供を行う。
<ふるさと移住交流促進プロジェクト>
ふるさと納税をきっかけとした継続的なつながりを持つ取組を通じて、将来的な移住・定住につながる。

後者のほうなら、地方活性化の手段としてあるだろが、
前者のほうは企業誘致など行われることで
地方の雇用増が図られるなど、相当の効果はあるだろうが、
果たして性善説が通用するのかと思う。

復興予算では利権化した補助金を団強盗の事実をもって搾取、
素晴らしい活動を約束だけしたや巨額の詐欺的行為が起きている。
ふるさと納税の利用状況の拡大が、
同様の事例を生み出しそうなことが分かろうものだ。

ピースわんこ・ジャパンへのふるさと納税交付は、
交付自治体による継続的な冷徹な監視・観察と調査がないならば、
極めて不明瞭な会計を生み出す土壌を内包させないかと思う。
同様の事案はすべてに共通する課題と思われる。
NPOであれ、なんであれ、起業は常に成功するとは限らない。
失敗もあれば、成功していたところで事業主体が変わり
運営がまるっきり変貌することだってある。
そもそも理念あれど実態が伴わぬことだってあり得よう。
ここに述べられている起業などとは全く異なるものだが、
富岡操動物基金などは、その設立趣意とは別な方向にかじを切った。
富岡操動物基金の場合、
運営方針を変更したことは賢明な判断だったと信じるが
結果として活動の本拠が変更されている。
今助成・補助を受ける事業が、その地域に根を張り続けているか、
将来にわたり予測可能とは思わないのだ。
公的資金をつぎ込んだのに事業が地域に定着させられないなら、
ふるさと納税の理念が、泣くに泣けない。
弱者救済の道は、どんどん細っていく日本の現状で、
投機的投資が優先されるのなら、どこか歪だ。

ふるさと納税の本来の趣旨が担保し続けられるのだろうか。
相当に疑問を感じる。

もともとは税として、広く国民生活に還元されるはずの原資が、
無駄に溶けるだけの結末に至らないか危惧する。
法人の資産に化け、法人の従業員給料に化けでは、
なんか納得できそうにない。
ましてや使用用途が不明ななってしまうなら闇が深すぎる。

2018年に起きたピースわんこ・ジャパンに対する疑念は、
国・自治体などに要望書が提出され、
団体には公開質問状が送付された。
なのに団体の釈明に納得できる点は少ない。
要望書を受けた後に国なり地方自治体の調査した結果などは、
少なくとも僕の目では探せなかった。
これが事実だというなら、
ふるさと納税の使途に正義などないということになる。
告発した団体側も、なぜか追及が及び腰になっている。
そこに闇がないと言い切れない。それが印象として残る。

税金ならば相当に使途の透明性が求められる。
寄付金だからと甘い運用を許してはならないと思う。
交付するにしても適正さや公益性を十二分に吟味し、
常に行政の責任として寄付金交付の有効性を証明できるよう、
自治体・事業者とも毎年度ごとに
使用細目を公表するべきではないのか。
交付したから、あとは交付先の自由ですを許してはならないと信じる。

和歌山市の例は、たまたま発覚しただけ、
でないことを祈るばかりである。

そもそもふるさと納税って必要なのかな。
興味を持ってもらうためという理念はわかる。
わかるが、現実は返礼品目当と映る。
地方税の在り方・仕組みを検討して、
税の分配方法を見直すことのほうが、本当は効果的ではないのか。
もっとも小さな政府を志向している流れの中では
国の権限が強化されることになりかねないから、
逆行との指摘がありそうなのが難点だが。
ならば、ふるさと納税の急伸は、
寄付文化が日本で定着した結果と考え、
返礼品をやめるのが正しくないか。
現にGCFへの寄付では返礼品がないものもあるが、
それぞれに、それなりの達成率がある。
別に返礼品がなくとも、賛同できる事業には寄付するようなのだ。
返礼品をやめたほうが、ずっとすっきりとした制度だと思う。

どう考えったって、税という重い義務が枠組みなものと、
寄付という、あいまいになりがちな在り方を共存させる必要があるの。
だいたい寄付の税額控除なら、
ふるさと納税以外でもある。
こちらは税額控除などが同様に可能な酒でなく
所得に応じた限定なども緩やかである。
節税効果はふるさと納税に劣っているようだが。

自治体への応援として発足した制度が、
いつの間にやら一法人への助成が可能な制度になった。
失われる側の自治体のほうは
社会基盤維持経費・社会保障費などの増大に苦しむ中、
今のママが本当に正しい在り方なのか首をひねるばかりだ。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://kumaneko.asablo.jp/blog/2020/10/04/9302088/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。