そらんが逝って一年2019-02-05

早いもので「そらん」が息を引き取った日から一年と6日が過ぎた。

いまだに「そらん」と呼び掛けてしまう。
散歩に行く時。おやつをあげるとき。寝るとき。起きたとき。
「はいら」を呼ぶときに、うっかり「そらん」から始めてしまう。
「ごお」がいなくなった時に間違えていたように
呼びかけてしまう。

いないことが、とても寂しくて、悲しくて。

「はいら」と「まこら」を連れ歩いていると、
久しぶりに会う犬たちと飼い主がいて
「そらん」はどうしたのって聞かれることが、まだたまにある。
「まこら」を見て雰囲気変わったねと言われることもある。

自分の犬達を送ること4頭。
少しは慣れてもよさそうなものだけれど、
やっぱり慣れることなんてない。
いつだっていないことが隙間になっていて、
突然寂しくなり、鼻の奥が金臭くなる。

犬と暮らす人なら、このさみしさが理解してもらえるに違いない。

「そらん」俺はまだ犬と一緒に暮らしてる。
お前のような奴ではないけれど、
それなりに懐いてくれていて、何とか楽しく生きてる。
「はいら」の病気はゆっくりとした進行で済んでる。
まだまだ頑張って生きている。
「まこら」は運動能力こそお前並みだけれど怖がりで困る。
掃除機に警戒心を抱いてはや10か月。

この前ものを整理していたら
お前の狼瘡の抜け殻が出てきた。
「まこら」に飲ませたら、少しはお前みたく
何物をも恐れぬようになろうか。

一周忌をしなくてごめんな。
それどころじゃなかったんだ。
夏に「ごお」「ジョン」と一緒に法要するから許してな。

やっと書ける2018-07-15

「そらん」が逝ったのは1月の末。
そのあたりを書こうと何度か試みたもののまとめきれなかった。

僕はもちろんだが、「はいら」の落ち込み用は尋常ではなかった。
10年以上もの間、いつも一緒にいた、その「そらん」がいない。
飼い主との時間に倍する時間を過ごし、
何をしても(だいたいは食事除。)許され、
かかってくるような犬と出会えば守られるなど、
可愛がってくれた「そらん」を喪った「はいら」を見ると
まとめている指が止まってしまった僕がいる。

「まこら」が来たことで「はいら」の喪失感が言えたように感じている。

今から「そらん」を思い出そうと思う。

まずは亡くなったその日に帰る。

息を引き取ったのは、あったくしたリビングです。
普段は犬たちが嫌がるので、あまりストーブは使いません。
7時ごろなでてやると手足の先が冷たくなっていました。
手足を手で温めてやると気持ちよさげに目を開けた。
しんどそうな様子が少し和らいだように思えた。
温かさが気持ちよいのかもしれない。
18度くらいに室温がなるようにしたリビングに入れ見守ることにした。、
「はいら」も当然のようにそばにいて何度も「そらん」の側まできては、
心配する僕の横に並び「そらん」を見る。
そらんの耳あたりをなめたり、鼻先をくっつけたりする。

僕達が撫でたりすると、薄く目を開け眼だけを動かし、

はいらの鼻先をなめたり、僕の手をなめたりする。

そうした反応は時間がたつとともに弱弱しくなっていく。

弱まるのに比例して呼吸が大きくなる。

そして大きく息を吸い込むお時が来た。

その時僕はそらんの頭方向から全身を抱きかかえけっこう大きな声で叫んだように思う。

「はいら」は足方向から僕の頭あたりまで来て何事かと慌てて寄ってきている。

しばらく茫然としていたが、もう帰ってこないことと知り、

闘病中のいろいろな汚れを拭き全身をきれいにしてやった。

午前1時ごろだろうか、安置する場所として玄関を選び移動させることに。


準備中ずっと「そらん」の横にいた「はいら」もやってくる。
そしてご覧の写真が生まれた。
「はいら」の顔が途方に暮れたように見えるのは僕だけだろうか。

もう「そらん」はいないのだ。淋しくなるけれど仕方ないと「はいら」に語り掛け
「そらん」を心配して行きそびれていた夜の散歩に行こうと「はいら」に語り掛けるが、
「はいら」は「そらん」から離れようとしない。
首輪を持って連れ出すことにしたが、リードをつけ歩き出そうとしても動かない。
シッ子、うんこをしようよとさらに引っ張ると
しぶしぶついてきて、いきなりうんちスタイルをとり出し、小も済ませ、
いきなり全力で家の中を目指す。
いつもなら何も言わなくても足を拭くまで待っているのに、
生死を聞かず玄関まで急いでいく。
そして「そらん」によりかかる。

しばらくして寝ようと声を掛け臨時の1階ベッドに行こうとさそうが動くそぶりもない。
したいようにさせることにした。


翌朝起きたとき目にしたのがご覧の様子。
ひと晩中傍らに寄り添っていたらしい。
僕が動き出したので上半身を起こしているが
「そらん」の前肢の下に頭を置く姿勢でいたのだろう。

霊園への手配や、さまざまな整理をしている間もずっとそばから離れないままだった。



上の写真は11時ごろだろうか。

結局霊園から迎えがくるまでの間のほとんどの時間「はいら」はそこにいた。

焼き場に行くときもつれて行った。
窯の中へ横たえた「そらん」から目を離さずじっと見つめていた。

そして、その日以降とっても動かない犬度合いが強まった。

忘れてしまう前に2018-02-04

死んでしまう前、約1か月の記録をしておく。

8がつにドッグドック受診。11月に追加検査。
年相応の筋肉の衰えはあるものの、ほぼ健康と判定。
追加検査で鼠蹊部にはレがあるので注意がいるという指摘を受ける。

12月25日ごろまでは、食欲は旺盛で、散歩も1回当たり2キロのコースを歩いていた。階段を上ることは躊躇するようになったのは11月からだが、このころまでは抱えて登らなくともよい日もあったし、下りは難なくこなしていた。就寝時も、ダメな日は階段前で呼ぶこともあったものの、自力で上がってきた。

12月25日ごろからは散歩が短めになった。
それまではうんちを散歩中盤までしなかったのに、
歩き出してから早い時期にするようになり、
時に以前なら考えられない短いコースを選択するようになる。
うんちが結構な確率で軟便気味になる。
食欲のない時が見られるようになる。

12月30日。下痢をする。散歩中に倒れる。
突然これまでのフードを食べなくなる。
このころから食欲のなさに危機感を持ち、
ダメな日は階段前で呼ぶこともあったものの、胸ダメな日は階段前で呼ぶこともあったものの、鶏肉、鶏肝、卵などを混ぜ与えるようになる。
与えたものは、いったん食べ始めれば完食はする。

1月3日ごろから、卵にそっぽを向くようになる。
ますますフードを食べなくなる。病中食やらいろいろ試しながら混ぜてv与えだす。

1月5日。朝の散歩前に横倒しで倒れる。常用のフードを全く食べなくなる。このころから、さまざまなフードのうち食べたものを中心に与え出す。

1月6日。獣医につれて行く。血液検査の結果や、首のリンパ節に腫れがあることなどからリンパ腫の診断。ステージは5。3月まで持ってくれそうにない。
獣医自体は4日から開いていたのだから、少しでも早く受信させればよかったと悔やむ。ステロイドを使用開始。

1月7日 ドギパに行く。以前ほどの元気さはないものの、しっかりと歩けた。

1月13日 ドギパに行く。先週より動く時間が短くなった。どうかすると車に乗りたがる。

1月15日ごろ 徐々に食事量が減ってきている。流動食などを用意する。残した量に見合うカロリーをこれらで補う。

1月16日。2度目の受診。前回より腫れが大きくなっている。進行が速い。

1月19日から20日。 出張があるので「メロー」に預けに行く。
到着してすぐに散歩に行く。迎えの日は車に飛び乗りはしなかったけれど、家に帰ると自身の足で降りた。夜の散歩は1キロコースを歩く。
このころになると食べられるものが極端に少なくなる。
鶏肉のボイルや、肝、白身魚、手を変え品を変え与えると、はじめは食べるが1-2日でそっぽを向く。こまかくしてペースト状にしてみたものの、食べない。「食べないと死んでしまう」といって口元までもっていくと食べるときもある。時間をかけて忍耐強く与えてやると、必要量の1/2は食べさせられる。シリンジを使って栄養補給を開始しだす。

1月22日。朝に800メーターの散歩に行く。

1月23日。はじめてのおもらし。

1月24日。自力歩行が困難になる。歩行できる距離は20メーターほどが限界。うんちは両手で腰を補助してやらなければならなくなる。

1月25日。3度目の受診。歩行するだけでも補助がいるようになる。
獣医には、以前岩場で引き上げるときにと買っていた抱っこひもを使う。嫌がりもできず、されるがまま。四肢に力がはいらない模様。
各種介護グッズを注文。2度目、3度目のおもらし。おむつ着用開始。
ほとんどの食事がシリンジから与える栄養剤になる。固形物は消化にしやすいおやつ類やパンのみ。

1月26日。介護グッズ到着。自力での立ち上がりが困難になる。4度目のおもらし。排便排尿がだんだんしにくくなる。

1月27日。ほとんどの固形物を受け付けなくなる。おやつ類とメロンパンは食べる。

1月28日。おやつのうち鹿肉チップ、チーズなどは口にする。
フードには見向きもしない。おやつも寝たままで頭だけ上げて食べる。

1月29日。補助しながらの最後の歩行。唯一食べ続けていた鹿肉チップを口元までもっていくと半切れ食べた。

1月30日a 朝起きると、おむつ内に排便あり。ハニカムマットにくるんで階下に降ろし、お尻を拭いてやる。ダメもとだと思いながら、ハニカムつなぎを両手で支え祖とぬ出す。腰を落として大・小を少しする。
10時過ぎからは全く立てなくなる。頭をあげることもできない。
ふくらはぎに頭を乗せたり、左手で頭を支えながらシリンジで飲まそうとしてもうまく飲み下せない。それでもゆっくり根気よく続ければ少しづつでも飲む。

そして

ついに力尽きた。

小さな骨壺で2018-01-31

つい先ほど高槻動物霊園から帰ってきた。
骨上げを済ませて帰ってきた。
「ごお」や「ジョン」と同じ大きさの小さな骨壺に入っている。

斎場では「はいら」が何度も、何度も、そらんのところに行っている。
途方に暮れた顔でいる。たぶん僕も。
合掌を終え、いよいよ窯のふたをするとき、
はいらは一歩進んで困ったかおをする。
どうしてなのか、理解できないのだろう。

バーナーの着火音がして、再び合掌。
不思議そうな、困ったような表情で、足元で「はいら」はじっとしている。
もう、「そらん」はいないのだ。

家にいるときはたいてい「そらん」に寄りかかるようにしていた。
1月20日が過ぎて、いよいよ≪そらん≫が動けなくなると
引っ付いている時間が増え、
30日はずっと近くで寄り添い寝ていた。
息を引き取ってからも、何度も顔を覗き込み、
鼻面を押しても動かない「そらん」にどうしたのかと固まっていた。

その後も「そらん」の近くにいて、見つめてみたり、
横に寝てみたり、おなかの上に顎を乗せたり、
さすが飼い主より「そらん」ちゃんが好き好き。
明日からどうなるのか。

小さな骨壺を、同じ小さな「ごお」と「ジョン」の隣にそっと置く。

退職後は≪そらん≫とゆったり、まったり暮らそうと思っていたのにと、
途方に暮れる。

「そらん」は逝く。2018-01-30

14歳と9か月と14日。
もっと長く生きると信じていたのに、
30日10時10分ごろ、静かに息を引き取った。

15時ごろにクリティカルリキッドを飲ませ、水を与えて、
どうにも不安があったが、とりあえず勤務先に向かい、
今後のおむつを買い、補充の流動食を仕入れ、
こうしているまにも息を引き取るかもしれないと焦り、
さらに有休をとり明日の有休も申請り、
休暇に備え、さまざまに手配してから帰宅。
19時頃に戻った。

帰ってきて水を与えようとしたが、水さえ飲めないと呆然とする。
今夜が山と思い隣に布団を敷き、見守る。

何度か声を掛け、水の匂いをかがせること数度。
21時すぎに三口ほど飲み込んだ。
昼頃に比べると胸部の動きが大きい。
どうやら呼吸さえ苦しくなっているようだ。
それでも声を掛けると目は確かに僕をとらえる。

どうにかできないものかと思うが
もはや手遅れだろう。
とにかく明日まで生きろ。
獣医に行こうと考えている間に、
ふと呼吸音が小さくなった。
慌てて頭を撫で声を掛けるも、
その状態で2-3分。息が止まった。
胸に耳を当てるも、心音も途絶える。

いろいろなことが胸中に去来する。

再開するつもり2018-01-12

今日はとても寒い。
昨日も冷え込んだけれど、今朝ほどじゃない。
犬たちの小便流しようのバケツに氷が張っていた。
さすがに暖房を使っている。

忙しかった生活もあと3ヶ月。
退職後に備えて そろそろ放置していたことどもを再開しよう。
犬たちともしっかり遊ぼうと考えている。

考えていた。
考えていたのだけれど、
悲しいが≪そらん≫がリンパ腫になってしまった。

9月のドッグ・ドックでも、11月の追加検査でも異常がなかったのに、
突然食が細くなり、散歩に行こうとしなくなった。
それでも、それでも日によっては
旺盛な食欲があったし、2キロ以上歩いていた。
だから獣医につれていくのを少し遅らせた。
年末だったし、新年早々に行くのもな。
で、6日に行ったのだ。そしてリンパ腫。

≪ジョン≫が懸ったのもリンパ腫。
抗がん剤治療を行ってひどく後悔した。
だからというわけではないが、
≪そらん≫に抗がん剤投与は行わない。

ステージ進行も進んでいては、もう長い時は残されていないだろう。
14歳9か月。充分に生きたといえるのだろう。
あとは食べたいように食べ、したいようにする。

淋しくなる日が近い。

老いからは逃れられない2015-09-08

生物である限り、何物も老いからは逃れられない。

頭では分かっているつもりだった。
自分でも、去年までできていた動きができない。
そういう事実をいやになるくらい思い知る。

だけれど、犬たちの老いは受け止められない。

犬たちのことを書かなくなって久しい。
ブログというのに飽いていたこともある。
理由は、飽きより、哀しさが勝っていたことのほうが大きい。

「そらん」が満9歳を超えたころから、
日を追うごと、あの「そらん」が、
跳ぼうとして躓き、若い犬に走り負け、
なんでもないところで踏み外す。
ついに、この前の旅行では自分から車に戻り、
出てこようとしなかった。

寝ていることが多くなった。
やたらと甘えたになってしまった。
歩くと息が上がっている。
老いは、あちらにも、こちらにも。

12歳と4か月半。
老いるには早い。そう思っているだけに、つらい。

そらんがダッフィーに似ているらしい2013-10-09

「そらん」も10歳を超え、ますます顔が白くなってきた。
3歳のころは
         
こんなのだったのに、今は
まっしろけ
こういう顔になってからよく言われるのが「ダッフィー」みたい

似てるかなあ?

最近ドギパで知り合いに会えない。
古くからの知り合いと会えないから、
なんかさびしげだったけれど、
2回続けて古くからの知り合いファーロン一家と会えた。
すっごい喜んだ。
半年近く会えなかったから。
お尻からすりすりして、うぉ~って言って甘えた。

ファーロン君、視力がほとんどなくなってしまったそうだ。
それでも大事なキックボールを咥えて楽しんでる。

飼い主を独占したくて一度無散らしたもだから、
「そらん」を避けていたけれど、
さすがに長い間の知り合い同士、
仲よくンランで、おやつを待ってる。
もう一緒に走ることはできなくなったけれど、
「そらん」にとっては大事な友達なんだ。

はいら、はじける2013-10-08


ブログ休止中も、週一回の犬孝行は続けていた。
でも、最近は遊べる相手もいないから、
「そらん」も「はいら」もだらだらするだけだった。

で、先日も同じことになるのかと思っていたら、
なんと、『はいら』を相手にする子がいた。
びれにーずの「ユウ」君
やる気のない「はいら」を誘う。
なかなか乗らないでいたけれど、

スイッチが入る。
自分からも遊べと言い出した。


そのころの「そらん」と愛梨さん。
まったりとお散歩
どりゃ~
はいら爆走。
さすがにびれにーずより早いがな
楽しげに見えたのか、「愛梨」さんも参戦。

でも、「はいら」すぐに電池切れ。
ついに狩られました。

たくさん遊んだから、このあとはもう動かなくなってしまった「はいら」です。

初めてであったびれさんに好かれてよかったな。

「そらん」もこの2頭は気にいったようです。
また逢えたらいいね。

そらんの老い2013-09-30

1年以上放置しているこのブログ。
タイトルを変えたけれど、相変わらず書けない。
なんでかというと
一つは飽きた。もう一つは業務でも書き始めた。
でも最大の理由は哀しいから。

無意味に元気といってよかった「そらん」が、
あらゆる局面で「老い」を見せてきたのだ。

全力疾走できなくなった。
散歩が短くなった。
寝起きには跛行する。
飛び越えていた柵を越えられなくなる。
ますます顔が白くなる。
ちょっとしたバランスの崩れが修正できずにこけることも。
目に濁りが見られる。

10歳半になったのだから「老い」も仕方ないこと。
そう考えようとはするのだけれど、
悲しくて、哀しくて…。

ほとんどの仲の良かった犬は鬼籍入り。
残る仲良しさんたちも、
「老い」の時期に入ってきた。
数少なった遊び仲間はいるにいるが、
腰を痛めてしまったり、大きなけがをしたりで、
会えずにいる。
そうしたことも「老い」を意識させずにはいられなく、
いたたまれない気分にさせがち。

夏の日は過ぎ去った。
あとどれくらいの時を過ごせるのかはわからない。
「そらん」との日々を悲しまずに書くことができるのか。
それが書くことをためらわせる。