ベットが奪われた ― 2005-10-01

一緒に暮らすようになった『ごお』
どうしてもうまくトイレができない。
トイレシートに前足は入れておしっこするのだけれど、
後ろ足は完全に出ている。
当然シートではない部分におしっこしてしまうこととなる。
寝起きとご飯の後は庭に出すようにしていたから、
室内でしてはいけない。するならシートの上という自覚はあるのだけれど
どうしてもうまくできない。
そんなわけで玄関が当初『ごお』の寝所となった。
ところが3ヶ月をすぎたあたりから、
夜、玄関で寝ることを嫌がるようになり、
いつまでもくんくん鳴くようになった。
母がついに負けた。2階への階段に設けたゲートを空けてやったのである。
『ごお』はその日から2階に来るようになった。
もともと同じ部屋でいたいとひそかに思っていた僕である。
同じ部屋で寝るようになるのは自然な成り行き。
『ごお』はベッドの横で眠るようになったのである。
犬と一緒に寝ていた前科がある僕のこと、
ベッドに上がらせるようになるのは当然。
ましてや2月では湯たんぽのようで暖かい。
朝まで一緒なんてしょっちゅう。
毎日毎日『ごお』は大きくなる。
シングルベッドじゃ一人と一頭じゃ狭すぎる。
『ごお』は自分の体が安定するように体勢をとる。
どんどん僕の寝るスペースが小さくなり、
とうとうある日ベットから落とされてしまった。
犬の下僕の誕生の瞬間だった。
どうしてもうまくトイレができない。
トイレシートに前足は入れておしっこするのだけれど、
後ろ足は完全に出ている。
当然シートではない部分におしっこしてしまうこととなる。
寝起きとご飯の後は庭に出すようにしていたから、
室内でしてはいけない。するならシートの上という自覚はあるのだけれど
どうしてもうまくできない。
そんなわけで玄関が当初『ごお』の寝所となった。
ところが3ヶ月をすぎたあたりから、
夜、玄関で寝ることを嫌がるようになり、
いつまでもくんくん鳴くようになった。
母がついに負けた。2階への階段に設けたゲートを空けてやったのである。
『ごお』はその日から2階に来るようになった。
もともと同じ部屋でいたいとひそかに思っていた僕である。
同じ部屋で寝るようになるのは自然な成り行き。
『ごお』はベッドの横で眠るようになったのである。
犬と一緒に寝ていた前科がある僕のこと、
ベッドに上がらせるようになるのは当然。
ましてや2月では湯たんぽのようで暖かい。
朝まで一緒なんてしょっちゅう。
毎日毎日『ごお』は大きくなる。
シングルベッドじゃ一人と一頭じゃ狭すぎる。
『ごお』は自分の体が安定するように体勢をとる。
どんどん僕の寝るスペースが小さくなり、
とうとうある日ベットから落とされてしまった。
犬の下僕の誕生の瞬間だった。
水泳大好き ― 2005-10-02

水泳が大好きだった『ごお』。
川の匂いがするだけで興奮し、泳ぎ出したら呼んでも戻ってこない。
散歩の途中で水田を見れば飛び込み転げ回る。
夜の散歩でも油断していたら池に飛び込みおおはしゃぎ。
大雨で増水する濁流にさえ飛び込む。
そんな『ごお』も最初は水が恐かった。
初めての遠出で『ボス』ちゃんの家に行ったとき、
川ではしゃぎ、泳ぎ、走り回る『ボス』を見ながら、
川縁でへっぴり腰で前足を水につけ震えていた。
大きな人が来て、いきなり抱き上げられ川に放り込まれた。
必死の表情で土手に逃げてくるところを捕まえられ、また放り込まれ、
今度は僕のところに逃げてきた。
そこをまたとっつかまれ放り込まれる。
水しぶきをあげながら、ばたばた犬掻きしながら
『ごお』は逃げ道を探した。そこに『ボス』がいた。
『ボス』の後を追いかけるうち、次第に水になれ、
20分もしたら上手に泳ぐようになっていた。
水遊びが大好きになったものの、
このことがトラウマとなったのか、
たいていの人は大好きで、すごく甘えん坊だった『ごお』だが、
大きな人にだけは、ちょっぴり恐怖を感じていたようだ。
結局、8月5日に水泳中の癲癇を起こす日まで、
四季を通じて泳ぎ続けた犬生だ。
一番驚いたのは2月の木曾で川に飛び込んだこと。
捕まえに行こうとした僕が、川に手を突っ込んだとたん
そのあまりの痛さで顔をしかめたのだ。
その状態で1時間も水から上がってこなかった『ごお』は
えらい
川の匂いがするだけで興奮し、泳ぎ出したら呼んでも戻ってこない。
散歩の途中で水田を見れば飛び込み転げ回る。
夜の散歩でも油断していたら池に飛び込みおおはしゃぎ。
大雨で増水する濁流にさえ飛び込む。
そんな『ごお』も最初は水が恐かった。
初めての遠出で『ボス』ちゃんの家に行ったとき、
川ではしゃぎ、泳ぎ、走り回る『ボス』を見ながら、
川縁でへっぴり腰で前足を水につけ震えていた。
大きな人が来て、いきなり抱き上げられ川に放り込まれた。
必死の表情で土手に逃げてくるところを捕まえられ、また放り込まれ、
今度は僕のところに逃げてきた。
そこをまたとっつかまれ放り込まれる。
水しぶきをあげながら、ばたばた犬掻きしながら
『ごお』は逃げ道を探した。そこに『ボス』がいた。
『ボス』の後を追いかけるうち、次第に水になれ、
20分もしたら上手に泳ぐようになっていた。
水遊びが大好きになったものの、
このことがトラウマとなったのか、
たいていの人は大好きで、すごく甘えん坊だった『ごお』だが、
大きな人にだけは、ちょっぴり恐怖を感じていたようだ。
結局、8月5日に水泳中の癲癇を起こす日まで、
四季を通じて泳ぎ続けた犬生だ。
一番驚いたのは2月の木曾で川に飛び込んだこと。
捕まえに行こうとした僕が、川に手を突っ込んだとたん
そのあまりの痛さで顔をしかめたのだ。
その状態で1時間も水から上がってこなかった『ごお』は
えらい
サウスバウンド ― 2005-10-03
本当に楽しめた『おもしろい』小説。
こんな小説を待ち望んでいた。
奥田英郎 2005年6月角川書店刊
物語は元過激派の父親を持つ小学6年の男の子の視点で描かれる。
2部構成になっていて、一部が東京での暮らし。2部が西表島での暮らしとなっている。
第一部では、少年『上原二郎』の子どもゆえの冒険と、
大都会・東京での子どもの人間関係の複雑さが描かれる。
子ども社会での冒険の数々は読者を酔わせよう。
同時に父・一郎の官嫌いがもたらす反骨精神に振り回される二郎の苦悩というか、トラブルメーカーとしての父を批判的に見る様子が描かれる。
西表出身のアキラが上原家の居候となり、
ある事件を起こしたことがきっかけで、
一郎が逮捕される事態となり東京から西表へ引っ越すまでが第一部である。
第2部では、一部では目立たない母・さくらがはじける。
その落差が僕をひきつけた。一部では耐える女性かと思わせたさくらのはじけっぷりは痛快だ。
西表に引っ越してからの上原家はすっかり様変わりする。
ろくに働きもせずぶらぶらしていたように見える一郎が
電気も水道もガスもない廃村での生活では
突然の変貌とも言える姿を見せ、西表の生活に溶け込む。
西表では都会では考えられない助け合う優しさがある。
二郎も、当初不安がっていた西表での生活が楽しいと思いだす。
しかし、廃村での生活はリゾート開発が進行しており、
一郎の持ち前の精神に火がつき、
環境保護活動家、右翼、左翼、警官、マスコミ、住民を巻き込んだ
大騒動に発展する。結末やいかに。
上原一郎という人は魅力的な存在である。
ただし身近にいると多少困りますが…
小学生の視点で描いたことで、
価値観の逆転や家族の結びつきの変化が違和感なく受け入れられる。
現代日本や国というもののありようについて
考えさせるところがたくさん存在し、
単なる娯楽小説にとどまらない趣もある。
快作である。
10点
こんな小説を待ち望んでいた。
奥田英郎 2005年6月角川書店刊
物語は元過激派の父親を持つ小学6年の男の子の視点で描かれる。
2部構成になっていて、一部が東京での暮らし。2部が西表島での暮らしとなっている。
第一部では、少年『上原二郎』の子どもゆえの冒険と、
大都会・東京での子どもの人間関係の複雑さが描かれる。
子ども社会での冒険の数々は読者を酔わせよう。
同時に父・一郎の官嫌いがもたらす反骨精神に振り回される二郎の苦悩というか、トラブルメーカーとしての父を批判的に見る様子が描かれる。
西表出身のアキラが上原家の居候となり、
ある事件を起こしたことがきっかけで、
一郎が逮捕される事態となり東京から西表へ引っ越すまでが第一部である。
第2部では、一部では目立たない母・さくらがはじける。
その落差が僕をひきつけた。一部では耐える女性かと思わせたさくらのはじけっぷりは痛快だ。
西表に引っ越してからの上原家はすっかり様変わりする。
ろくに働きもせずぶらぶらしていたように見える一郎が
電気も水道もガスもない廃村での生活では
突然の変貌とも言える姿を見せ、西表の生活に溶け込む。
西表では都会では考えられない助け合う優しさがある。
二郎も、当初不安がっていた西表での生活が楽しいと思いだす。
しかし、廃村での生活はリゾート開発が進行しており、
一郎の持ち前の精神に火がつき、
環境保護活動家、右翼、左翼、警官、マスコミ、住民を巻き込んだ
大騒動に発展する。結末やいかに。
上原一郎という人は魅力的な存在である。
ただし身近にいると多少困りますが…
小学生の視点で描いたことで、
価値観の逆転や家族の結びつきの変化が違和感なく受け入れられる。
現代日本や国というもののありようについて
考えさせるところがたくさん存在し、
単なる娯楽小説にとどまらない趣もある。
快作である。
10点
車上生活犬 ― 2005-10-04

「ごお」は生涯を通じて8万キロもの旅をした。
とにかくクルマに乗りたがった。
家の周りを普通の散歩に行こうとしても、
クルマの周りを一廻り、視線はずっとドアを見上げている。
『どっか行こうよ』とアピールする。
行った先でも僕が飯を食べている間。
他の用事をしている間
外につないで待たせれば泣き叫ぶ『ごお』が
クルマでの待機だと4時間でも6時間でも気長に静かに待っている。
『ごお』との別れとなる日も、
医者に連れて行くためドアを開けたら、勇んで乗り込んだ。
そんな車上生活犬になった『ごお』は
水泳とおなじで、最初は、踏ん張って乗るのを拒否していた。
また、クルマ酔いがひどく20分もすると泡を吹いたり、吐くなどしていた。
だけれど『ボス』ちゃんのところを訪ねたり、
大好きになった川遊びに出向いたり、山遊びに連れて行くうち、
クルマに乗るのはしんどくて嫌な顔をするものの、
自ら進んで乗るようになった。当時のクルマはパジェロだったのだが、
前席の後ろで小さく丸まって、我慢していたことを思い出す。
そんなことを何度も繰り返しているうち、クルマ酔いをしなくなり、
クルマから見える外の風景を楽しみだしたように思う。
座席下で震えるようにしていたのが、
窓から外を見るようになり、助手席に上り、
ある日ついに運転席にやってきた。
そのときは高速に乗っていたので、ひやりとした。
ケージなり何なり使用すればよいと、たいていの人は思うだろう。
ところが天下無敵の自由犬として育った『ごお』のこと
ハウスがクルマであり、家そのものだったのだ。
生涯『ごお』は、ケージに入ることを嫌がった。
それに運転中ずっと左ひざに犬を感じるのも、捨てがたい感覚だ。
あっちこっちに行って一緒の車中泊。
楽しかったなあ。また行きたいね。
とにかくクルマに乗りたがった。
家の周りを普通の散歩に行こうとしても、
クルマの周りを一廻り、視線はずっとドアを見上げている。
『どっか行こうよ』とアピールする。
行った先でも僕が飯を食べている間。
他の用事をしている間
外につないで待たせれば泣き叫ぶ『ごお』が
クルマでの待機だと4時間でも6時間でも気長に静かに待っている。
『ごお』との別れとなる日も、
医者に連れて行くためドアを開けたら、勇んで乗り込んだ。
そんな車上生活犬になった『ごお』は
水泳とおなじで、最初は、踏ん張って乗るのを拒否していた。
また、クルマ酔いがひどく20分もすると泡を吹いたり、吐くなどしていた。
だけれど『ボス』ちゃんのところを訪ねたり、
大好きになった川遊びに出向いたり、山遊びに連れて行くうち、
クルマに乗るのはしんどくて嫌な顔をするものの、
自ら進んで乗るようになった。当時のクルマはパジェロだったのだが、
前席の後ろで小さく丸まって、我慢していたことを思い出す。
そんなことを何度も繰り返しているうち、クルマ酔いをしなくなり、
クルマから見える外の風景を楽しみだしたように思う。
座席下で震えるようにしていたのが、
窓から外を見るようになり、助手席に上り、
ある日ついに運転席にやってきた。
そのときは高速に乗っていたので、ひやりとした。
ケージなり何なり使用すればよいと、たいていの人は思うだろう。
ところが天下無敵の自由犬として育った『ごお』のこと
ハウスがクルマであり、家そのものだったのだ。
生涯『ごお』は、ケージに入ることを嫌がった。
それに運転中ずっと左ひざに犬を感じるのも、捨てがたい感覚だ。
あっちこっちに行って一緒の車中泊。
楽しかったなあ。また行きたいね。
リタイア ― 2005-10-04
ハート出版から出た郡司ななえさんの2005年7月刊行のもの。
『べルナのしっぽ』で多くの読者を感動させた郡司さんの新作と言うことなので、読んでみた。
『ベルナのしっぽ』では、盲導犬とユーザーの強い結びつきが
老いゆくベルナが盲導犬として働くことができなくなっても、
その臨終にいたるまでを一緒に暮らし介護しとおしたことが
盲導犬のけなげさと共に感動を与えた。
一愛犬家としては、この本で紹介されている出会いと別れについて
特別な感慨は抱きません。
むしろ盲導犬であることを止めるときの別れの寂しさは
ユーザーにとっては心の負担を小さくするために必要なことと思いました。
途中で何度も飼い主が変わるという事実が
時として誤解を生むこともありますが、
単なるペットであっても、その死が強烈な悲しみを伴わせることを思えば
半ば強制的にリタイアさせる仕組みは、
ユーザーにとっても盲導犬にとっても必要なことなのでしょう。
本作では、リタイア後の盲導犬の生活を追い
ボランティアによって余生を幸せに暮らす犬たちや
老犬ホームでの生涯を全うする犬たちを取材しています。
また、今作では様々な盲導犬ユーザーに取材し、
リタイアを決意した心の動きなども紹介しています。
浮かび上がってくるすべての関係者の姿は
私たち普通の犬と暮らす者たちと変わりありません。
愛犬の死を眼前にするより、リタイアによる別れが悲しくないということはありません。それぞれのユーザーはパートナーの幸せを心底望んでいるのだと教えられます。
一般の飼い主となんら変わることのない愛情を感じてください。
6点
『べルナのしっぽ』で多くの読者を感動させた郡司さんの新作と言うことなので、読んでみた。
『ベルナのしっぽ』では、盲導犬とユーザーの強い結びつきが
老いゆくベルナが盲導犬として働くことができなくなっても、
その臨終にいたるまでを一緒に暮らし介護しとおしたことが
盲導犬のけなげさと共に感動を与えた。
一愛犬家としては、この本で紹介されている出会いと別れについて
特別な感慨は抱きません。
むしろ盲導犬であることを止めるときの別れの寂しさは
ユーザーにとっては心の負担を小さくするために必要なことと思いました。
途中で何度も飼い主が変わるという事実が
時として誤解を生むこともありますが、
単なるペットであっても、その死が強烈な悲しみを伴わせることを思えば
半ば強制的にリタイアさせる仕組みは、
ユーザーにとっても盲導犬にとっても必要なことなのでしょう。
本作では、リタイア後の盲導犬の生活を追い
ボランティアによって余生を幸せに暮らす犬たちや
老犬ホームでの生涯を全うする犬たちを取材しています。
また、今作では様々な盲導犬ユーザーに取材し、
リタイアを決意した心の動きなども紹介しています。
浮かび上がってくるすべての関係者の姿は
私たち普通の犬と暮らす者たちと変わりありません。
愛犬の死を眼前にするより、リタイアによる別れが悲しくないということはありません。それぞれのユーザーはパートナーの幸せを心底望んでいるのだと教えられます。
一般の飼い主となんら変わることのない愛情を感じてください。
6点
犬の牧場 ― 2005-10-05

2004年8月末、はじめて『犬の牧場』を訪れた。
広大な牧場は都会では決して得られない開放感がある。
「そらん」も「ごお」も、山上のさわやかな空気がいたく気に入ったようで
思い思いに牧場を散策し、草を食んだりしていた。
僕たちはみんな八ヶ岳の稜線に見とれ、
時間を忘れてのんびりした。
普通のドッグランでは味わうことのない時間は、
『ごお』にも『そらん』にもすばらしいひと時になったに違いない。
それ以来5度『犬の牧場』には行っている。
明日から、思い出のいっぱいある場所へ
『ボス』と『そらん』を連れて行く。
広大な牧場は都会では決して得られない開放感がある。
「そらん」も「ごお」も、山上のさわやかな空気がいたく気に入ったようで
思い思いに牧場を散策し、草を食んだりしていた。
僕たちはみんな八ヶ岳の稜線に見とれ、
時間を忘れてのんびりした。
普通のドッグランでは味わうことのない時間は、
『ごお』にも『そらん』にもすばらしいひと時になったに違いない。
それ以来5度『犬の牧場』には行っている。
明日から、思い出のいっぱいある場所へ
『ボス』と『そらん』を連れて行く。
交通事故過失割合のすべて ― 2005-10-09
増村裕之著 大河出版 1500円
どんなに注意していても、交通法規を守っていても、交通事故を皆無とすることは難しい。誰も事故を望んではいない。それでも人が移動するとき事故はおきる。本書では、過失割合にスポットを当て、その認定(算定)基準をケース別にわかりやすく図解している。また、交通事故の発生状況と過失割合の関係を把握するために、代表的な判例も紹介する。歩行者と車の事故、車同士の事故、バイクと車の事故、自転車と車の事故、高速道路上の事故と当事者別にまとめられた基準はわかりやすい。
歩行者同士がぶつかっただけでも怪我をすることもある。ましてや1トン以上もある自動車が絡んでいると大きな事故となり、被害者も加害者も人生を大きく変えられてしまう。交通事故では被害者が加害者でもあり、加害者が被害者にもなりうるのだ。
優先道路上を走行していても速度違反があれば過失があるとみなされ、損害の一部が自己責任とされる。自分は悪くないと主張しても、過去の裁判事例の積み重ねからまったく逆の結果だと判断されることだってありえる。
この本で示されている過失割合とは、言い換えれば事故の起きる類型から特に注意するべき点が明らかにされているということなのだ。事故がおきる場所ごとでの過失割合を知ることは、交通事故を起こさない知恵につながるといえる。
交通事故がおきたとき、加害者なら多くの経済的負担を将来にまで負わねばならないし、被害者なら金には置き換えられない肉体の損傷となって将来にまで影響する。そうしたリスクを少しでも回避できるよう、事故原因を知っておくことを薦める。
どんなに注意していても、交通法規を守っていても、交通事故を皆無とすることは難しい。誰も事故を望んではいない。それでも人が移動するとき事故はおきる。本書では、過失割合にスポットを当て、その認定(算定)基準をケース別にわかりやすく図解している。また、交通事故の発生状況と過失割合の関係を把握するために、代表的な判例も紹介する。歩行者と車の事故、車同士の事故、バイクと車の事故、自転車と車の事故、高速道路上の事故と当事者別にまとめられた基準はわかりやすい。
歩行者同士がぶつかっただけでも怪我をすることもある。ましてや1トン以上もある自動車が絡んでいると大きな事故となり、被害者も加害者も人生を大きく変えられてしまう。交通事故では被害者が加害者でもあり、加害者が被害者にもなりうるのだ。
優先道路上を走行していても速度違反があれば過失があるとみなされ、損害の一部が自己責任とされる。自分は悪くないと主張しても、過去の裁判事例の積み重ねからまったく逆の結果だと判断されることだってありえる。
この本で示されている過失割合とは、言い換えれば事故の起きる類型から特に注意するべき点が明らかにされているということなのだ。事故がおきる場所ごとでの過失割合を知ることは、交通事故を起こさない知恵につながるといえる。
交通事故がおきたとき、加害者なら多くの経済的負担を将来にまで負わねばならないし、被害者なら金には置き換えられない肉体の損傷となって将来にまで影響する。そうしたリスクを少しでも回避できるよう、事故原因を知っておくことを薦める。
ダメ犬グー―11年+108日の物語 ― 2005-10-10
ごとうやすゆき氏の好著。文春ネスコ刊
空前のペットブームだそうだ。いや、ブームなどではなくて、人間回帰への切望なのかもしれない。犬や猫の登録数は2000万頭に達するという。全世帯の半数近くとなっているのだ。人はペットをなぜ飼うのか。その根源は、この本で解明の糸口が見える。現代社会は家族であっても個人であることを強いている。親子や兄弟の情というものが見失われかねない状況だ。ペット、なかでも犬は、家族に忠実で疑うことを知らない無垢を感じさせる。それが失われた感情を回復させている。と同時に、小さくなった家族集団にとっては“死”を身近に体験させる装置となって、喪失の悲しみを感じさせもする。
グレイス、略してグーは写真で見たところーベルマンという大型犬種に見える。見た目はおっかないが、温和な犬種であり、愛情深く接すれば、このうえない忠誠心を発揮するといわれている。そんなグーは「ごとう」一家に笑いを与え、時にはぎすぎすする家族関係を解きほぐしたりしていた。10歳の誕生日まで。大型犬にとって老境といえる10年目を越えると、グーは腫瘍ができ(たぶんリンパ腫)、食事も摂れなくなる。だんだんに体調の落ちていくグーを見つめつつ、「ごとう」一家は為す術のない無力感や喪失への恐れを感じる。
この「命」のお話は、短い文章と簡単なイラストでつづられる。朴訥とした語り口のなかに、グーへの追憶が溢れこぼれだしてきて、読む者に、ときには心地よさを与え、ときには切なさをあたえます。心が熱くなり、もしかしたら眼から流れ出すもので読めなくなるかもしれません。グーと“ぼく”のありふれた日常の中に大切なものがいっぱい広がっている。
いつか再会が叶えばいいね。
(この本はずっと前に買って積ん読になっていた。
『ごお』が逝く少し前には読み終えて
レビューもできていたが、
そのショックで公開できなかったものだ。
悲しみは大きいけれど
愛したものを亡くした人たちへの救済につながる本とも言える。)
10点
空前のペットブームだそうだ。いや、ブームなどではなくて、人間回帰への切望なのかもしれない。犬や猫の登録数は2000万頭に達するという。全世帯の半数近くとなっているのだ。人はペットをなぜ飼うのか。その根源は、この本で解明の糸口が見える。現代社会は家族であっても個人であることを強いている。親子や兄弟の情というものが見失われかねない状況だ。ペット、なかでも犬は、家族に忠実で疑うことを知らない無垢を感じさせる。それが失われた感情を回復させている。と同時に、小さくなった家族集団にとっては“死”を身近に体験させる装置となって、喪失の悲しみを感じさせもする。
グレイス、略してグーは写真で見たところーベルマンという大型犬種に見える。見た目はおっかないが、温和な犬種であり、愛情深く接すれば、このうえない忠誠心を発揮するといわれている。そんなグーは「ごとう」一家に笑いを与え、時にはぎすぎすする家族関係を解きほぐしたりしていた。10歳の誕生日まで。大型犬にとって老境といえる10年目を越えると、グーは腫瘍ができ(たぶんリンパ腫)、食事も摂れなくなる。だんだんに体調の落ちていくグーを見つめつつ、「ごとう」一家は為す術のない無力感や喪失への恐れを感じる。
この「命」のお話は、短い文章と簡単なイラストでつづられる。朴訥とした語り口のなかに、グーへの追憶が溢れこぼれだしてきて、読む者に、ときには心地よさを与え、ときには切なさをあたえます。心が熱くなり、もしかしたら眼から流れ出すもので読めなくなるかもしれません。グーと“ぼく”のありふれた日常の中に大切なものがいっぱい広がっている。
いつか再会が叶えばいいね。
(この本はずっと前に買って積ん読になっていた。
『ごお』が逝く少し前には読み終えて
レビューもできていたが、
そのショックで公開できなかったものだ。
悲しみは大きいけれど
愛したものを亡くした人たちへの救済につながる本とも言える。)
10点
『逃避行』 ― 2005-10-10
篠田節子著 光文社 2003刊
飼い犬が隣家の子どもを噛み殺してしまった。塀を乗り越え子どもは犬にいたずらし、注意してもやめることもなく、次第にいたずらをエスカレートさせていた。その日、塀を乗り越え爆竹を犬に投げつけ、興奮した犬が子どもを組み敷き首を噛んでしまったのだ。
平凡な主婦・妙子は、女性特有の持病に苦しんでいたが家族から理解されず、愛犬を心のよりどころにしていた。夫は相談もせずさまざまな事を決め、子どもたちは妙子を煩わしいものとして扱っていた。そんななか事件が起こったのである。マスコミは昼夜分かたず取材に来、報道は一方的に悪者に仕立てる。家族は愛犬を殺処分しようとする。追い詰められた妙子は我が子とも言うべき愛犬を連れ逃避行に出る。
犬を飼ったことがあるなら、妙子の行動に共感するのではないだろうか。この二人の逃避行が幸せに終わることを期待して読み進めるかもしれません。しかし、この逃避行に妙子の救いはない。穏健とされるレトリーバー種であっても、犬には野生がある。人の思い入れなど超えたところに行き着くこともある。そうしたすべてを越えてつかの間の安寧が訪れたとき皮肉な運命が妙子を襲う。
報道のあり方や、家族のありようを強烈に風刺している『逃避行』は、犬好きにはもちろん、すべての人に考えて欲しい事柄が含まれています。
7点
飼い犬が隣家の子どもを噛み殺してしまった。塀を乗り越え子どもは犬にいたずらし、注意してもやめることもなく、次第にいたずらをエスカレートさせていた。その日、塀を乗り越え爆竹を犬に投げつけ、興奮した犬が子どもを組み敷き首を噛んでしまったのだ。
平凡な主婦・妙子は、女性特有の持病に苦しんでいたが家族から理解されず、愛犬を心のよりどころにしていた。夫は相談もせずさまざまな事を決め、子どもたちは妙子を煩わしいものとして扱っていた。そんななか事件が起こったのである。マスコミは昼夜分かたず取材に来、報道は一方的に悪者に仕立てる。家族は愛犬を殺処分しようとする。追い詰められた妙子は我が子とも言うべき愛犬を連れ逃避行に出る。
犬を飼ったことがあるなら、妙子の行動に共感するのではないだろうか。この二人の逃避行が幸せに終わることを期待して読み進めるかもしれません。しかし、この逃避行に妙子の救いはない。穏健とされるレトリーバー種であっても、犬には野生がある。人の思い入れなど超えたところに行き着くこともある。そうしたすべてを越えてつかの間の安寧が訪れたとき皮肉な運命が妙子を襲う。
報道のあり方や、家族のありようを強烈に風刺している『逃避行』は、犬好きにはもちろん、すべての人に考えて欲しい事柄が含まれています。
7点
忘れ雪 ― 2005-10-10
新堂冬樹の2-3年前発表の作品
文庫化されたので、レビューを再掲
春に降る雪を「忘れ雪」という。とても儚いけれど美しい印象を持たせる言葉だ。
紹介する作品はそのイメージどおりの美しく儚い物語である。
積もることなく儚く消えていく忘れ雪に願い事をすれば必ず叶う。
両親を一度に事故で失い叔父夫婦に引き取られた少女は、そのガラスの心を隠して生きていた。決して人に心のうちを見せないよう心に鎧を着込ませて。孤独と初春の寒さに公園で震える少女は傷ついた子犬を見つける。弱った子犬に自分を見た少女は、おりしも降ってきた忘れ雪に「この子を助けて」と祈った。忘れ雪が融けるまでに願いを終えた少女は、獣医を目指す青年に助けられた。少女は青年のあたたかさによって孤独を溶かされ、青年に淡い恋心を抱く。だが、少女の悲しい運命は、叔父夫婦の破産により、青年との別れを迫った。別れを迎えて少女は青年と約束する。7年後この場所で会いましょう。そして少女はクロスと名づけた子犬とともに別な親族の下へと行くのだった。(表紙の子犬がその犬なのだけれど、このイメージがよい。)
8年後、クロスと名づけられたあのときの子犬に導かれ二人は再会する。美しく成長した少女は青年を求めつづけていた。しかし、青年には少女の記憶は戻らないままだった。惹かれあいながらも届かない。そして彼が少女の記憶を取り戻したとき、彼女は日本を離れていた。一年後に再会しましょうと言うメモを残して。
一年後帰国した彼女は突然に姿を消す。婚約者の死への疑念をもたれながら。
超一流メロドラマ復活宣言 泣ける!
ピュア・ラブストーリー(純愛小説)がここに蘇る。
犬好きには感涙もの。二人の行方は幼い片思いから、再会と失念。意地と当惑。すれ違い物語りから、殺人事件あり、バイオレンスあり。
結末が『純愛』を売り物にしつつも、安易に幸せ物語にさせていない。新堂節も健在。
7点
文庫化されたので、レビューを再掲
春に降る雪を「忘れ雪」という。とても儚いけれど美しい印象を持たせる言葉だ。
紹介する作品はそのイメージどおりの美しく儚い物語である。
積もることなく儚く消えていく忘れ雪に願い事をすれば必ず叶う。
両親を一度に事故で失い叔父夫婦に引き取られた少女は、そのガラスの心を隠して生きていた。決して人に心のうちを見せないよう心に鎧を着込ませて。孤独と初春の寒さに公園で震える少女は傷ついた子犬を見つける。弱った子犬に自分を見た少女は、おりしも降ってきた忘れ雪に「この子を助けて」と祈った。忘れ雪が融けるまでに願いを終えた少女は、獣医を目指す青年に助けられた。少女は青年のあたたかさによって孤独を溶かされ、青年に淡い恋心を抱く。だが、少女の悲しい運命は、叔父夫婦の破産により、青年との別れを迫った。別れを迎えて少女は青年と約束する。7年後この場所で会いましょう。そして少女はクロスと名づけた子犬とともに別な親族の下へと行くのだった。(表紙の子犬がその犬なのだけれど、このイメージがよい。)
8年後、クロスと名づけられたあのときの子犬に導かれ二人は再会する。美しく成長した少女は青年を求めつづけていた。しかし、青年には少女の記憶は戻らないままだった。惹かれあいながらも届かない。そして彼が少女の記憶を取り戻したとき、彼女は日本を離れていた。一年後に再会しましょうと言うメモを残して。
一年後帰国した彼女は突然に姿を消す。婚約者の死への疑念をもたれながら。
超一流メロドラマ復活宣言 泣ける!
ピュア・ラブストーリー(純愛小説)がここに蘇る。
犬好きには感涙もの。二人の行方は幼い片思いから、再会と失念。意地と当惑。すれ違い物語りから、殺人事件あり、バイオレンスあり。
結末が『純愛』を売り物にしつつも、安易に幸せ物語にさせていない。新堂節も健在。
7点
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