ミカ×ミカ2007-01-17

伊藤たかみ  文春文庫  552円

「ミカ! 」
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2006/09/05/512216
の続編にあたります。
おとこおんなのミカと、妙に大人びているユウスケ、
双子の兄弟が中学生となって帰ってきた。

「おっぱいなんていらへん」なんて言い、
男の子をぶっ飛ばし、活発に飛び回っていたミカが、
突然「女らしいってどういうこと?」とユウスケにたずねて、
この中学生篇が始まる。

どうやらミカは失恋したらしい。
告白した男の子に「女の子らしい子がええ」と言われたみたいなのだ。
微妙に揺れるミカの姿をユウスケの語りで魅せる作品となっている。

前作では涙を吸収して巨大化する「おととい」というのが脇役?になっていたが、
今作では青いインコ「シアワセ」が双子に思いもよらない初恋をプレゼントしている。
そう、ユウスケも恋をするのだ。

なんてことはない日常に過ぎない物語に、
恋の不思議さや、感情の揺れを見事に捕らえる絶品小説になっていて、
大人も子どもも楽しめるに違いない。

父の再婚に対しての双子の反応が、
ちょっぴり現実的じゃない木もするけれど、
シアワセな人間関係が築けている家族なら、
伊藤氏の描くような結論もありえるのだろうね。

いやな子がいやな子でなくなる瞬間の捉え方は、
本当に脱帽もの。

この兄弟、高校篇を見てみたい気がする。

ひろしまドッグぱーく問題2007-01-17

ひろしまドッグぱーくについて二つほど書いている。
9月29日に書いた「ひろしまドッグパークの悲劇を知っているか 」
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2006/09/29/541873
と、ひろしまドッグパークの向こう側で
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2006/10/06/549885
だ。

その後、さまざまな動きがあり
アーク・エンジェルズに不審が向けられている。
ぱーくの犬たちは、大多数が飼主が見つかったというが、
AAに対する不審は、この功績とは別に晴らさねばならないだろう。
もし、AAが噂されるような似非ボランティア団体であったとしたら、
この後、同様な事態が起きたとき、
今回のような善意の結集を困難にさせてしまうから。
AA自身、救出に入ったとき、一部の保護団体をさして、
似非愛護団体だと決め付けていたのだから、
世間は動物愛護団体って、ろくなもんじゃねぇ、と捉えたとしても不思議ではない。

ドッグぱーく問題が明らかとなったとき、
支援金なり、支援物資などを送りかけていた(けちな)僕だが、
AA関係者の発言に不審を感じ見送っていた。
その後、いくつか事実関係を調べていたら、
AAという団体には野心を感じてしまったのである。
野心を持つことが悪いと思っているわけではない。
ただ、善意を前面に押し出し、野心を成就させようとするのは
僕には受け入れることができないことなのだ。

AAの野心を感じ取ったのはARKとの関係が最初。
ドッグぱーくへAAが介入する前に、AAのHPを見ていた時期がある。
そのころ、AAはしきりにARKとの関係を書いていた。
ARKの趣旨に賛同してARKの活動に参画していたが、
犬の保護に関する考え方の相違から分派独立して活動していますという趣旨が載せられていた。
ひろしまドッグぱーくでのAAの活動が報じられると
ARKにはAAとは無関係であるとの声明が載せられていた。
どうもAAにはARKの知名度を利用している節があったのではないかと疑った。

次に代表者が、広島入りしているが、妻も大阪で保護活動している。
よほどの財閥でもない限り、保護活動に全身全霊を傾けられる環境にはあるまい。
それができている。理解不能に陥った。
で、支援はけちな僕としては見送り続けることに決めた。

僕が大阪で活動拠点を持っていて、広島に介入したなら、
広島の団体に頼るはずだ。
最初の一歩は気づいたものが動くのが自然だが、
以降は主導権を広島に渡す。広島にあるものが活動の中心となることが当然のことだ。
そうしないと自分の生活基盤が維持できない。
寄付金のあて先だって、特別な口座を用意するだろう。
大きな現場だけに、小さな団体が全部を管理することなどできないのだから、
いくつかの団体が協力してあたるべきだと思うのだ。
そのときにAAにのみ支援金を集中させていては、
いらぬ疑義を持たせるだけのことだ。

AAへの最大の不審は、「1000頭を収容できるシェルター建設をする。」
この言葉にある。
最大限、善意に読み取ったとしても理解できない。
計画を本当に温めているのなら、荒唐無稽だと気づくはずなのだ。
1000頭規模のシェルター?
どうやって運営するというのだ。
MAX1000頭なら、常時400-500頭を扱う規模ということができる。
それだけの犬を保護して、管理して、しつけをいれ、
新しい飼主を探すとなれば、どれほどのスタッフがいる。
敷地はどれほどいる。
仮に施設建設はできたとして、毎月の維持費用を考えてみるがいい。
餌代と施設の維持費だけで月100万はかかる。
その他、各種予防薬などの経費だって必要だ。
巨大シェルターだから、都市部ではなく僻地に建設するほかない。
訓練士や獣医も必要だ。ボランティアを期待して臨むべくもない。
管理運営するためには最低でも20名程度の専属スタッフが必要となろう。
人件費がかかるということだ。
そうするといったいいくらの経費がかかるというのだ。
シェルターのはずが「ひろしまドッグぱーく」になってしまうだろう。
夢見る年齢ならともかく、いい大人が考えるものではなかろう。

AAが寄付金を使わずに残しているのがシェルター建設のためというのなら、
そのシェルターを維持させる目算が立っているということなのだろう。
なら、彼らはその目算をどう考えているのか明白にする必要がある。
それが寄付行為を求めたものとしての責務である。
けちな僕には関係がないが、
けちな僕が支援金を送っていたら、要求したろう。

代表者について、過去に同姓同名の妖しい人物がいて詐欺的商売をしていたとか、
AAの所在地と同じ地番にて怪しい会社があるなどの書き込みもある。
不確実情報とはいえ、さまざまなAAへの逆風がある。
どれが真実でどれが誹謗中傷なのか、判断がつかないが、
日がたつうちに次第に囁かれる疑惑が、
まんざら的外れではなく、真実なのかもしれないと思わせられる。

AAの関係者が犬好きなのは確かだとして、
彼らが主張するようなボランティア団体だと、
僕をして信じさせてくれるのを待ち望んでいる。

そして僕は考えている。
犬を保護して再生し新しい飼主を見つけてあげるという行動が、
情においては正しい行動だとは思っても、
論理的には矛盾でしかありえない、と。
この結論を持つ背景については改めて記してみる。

保護活動を語ろうか。その前に、2007-01-17

捨てられた犬や猫などのペットを保護し、
新しい飼主に引き合わせるという行動に疑問がある。
昨日、僕はそう書いた。
情においては認めているが、論理的に矛盾していると思っている。
なぜか、そそれを述べる前に、僕の今を記そう。

「ごお」が死んだとき、悲しくて寂しくて仕方なかった。
「そらん」がいて最悪には到らなかったが、
「そらん」ともども「ごお」の不在が耐えられなかった。
だから、子犬を迎え入れようとしていたところが、
このブログを立ち上げたころである。

いろいろ迷った末、縁あってジョンを引き取ることとなった。
成犬から飼い始めるのは、犬と一緒の生活を意識して以降、初めてのことだ。
ジョンは飼育困難となった犬であるものの、
虐待などされていないし、最初の飼主とつなぎの飼主共に、
放置していたわけでもない。
その時々の条件下で、できる範囲のことはし続けていたと思える。
ジョンは人の手を怖れてはいないし、
犬は苦手でも怖れて威嚇したりすることもない。
食事のしつけもできていたし、排泄場所への理解もあった。
成犬から飼うとのは難しいかなと思っていたが、
拍子抜けするほど楽チンだった。
ジョンは僕に懐こうとしていたし、健気に学習もした。
だから可愛いと思っている。大事に飼っているはずだとも思える。

が、子犬から面倒見てきた「そらん」までの犬と比べ、
ジョンとの関係はギクシャクしている。
どうしても僕の接し方を自然に受け入れきれないジョンがいて、
ジョンの反応に戸惑ってしまう僕がいるのだ。
ほぼ1年経った今でも、僕とジョンとの間にある違和感がなくなることはない。
家庭犬としては文句なしのジョンにしてからが、
犬との付き合い方が下手とは言い切れない僕でも、
埋めきれない違和感が残るのだ。

これがさまざまにトラウマを持つ犬との関係だったとき、
果たして保護団体が言うようなすばらしい犬との生活を体感できるのか。
子犬ならできるだろう。だが成犬ではうまくいくとは限らない。
成犬を引き取るというのは、相当の覚悟と根気と知識が要求される。
そういう意味では、引き取った犬がジョンだったことは、
僥倖であったとしか思えないのである。

さて、多くの保護団体が愛護センターから犬を引き出し、
人への信頼感を取り戻させた上で、
家庭犬としての適正が発揮されるようにしてから、
新しい家庭との橋渡しを企図している。
引き取った家庭が行き詰ったとき、適切なフォローすら行っている。

こういう試みは高く評価できる。
だが対症療法でしかありえないとも思うのだ。
保護団体の目的は以下の点にあると考えている。
安易な飼育放棄の防止と啓蒙
無節操な子犬製造現場の根絶と啓蒙
ペット虐待根絶に向けた啓蒙
殺処分される犬の根絶
(もし違っていたら不勉強をわびるしかない)
これらは不可分なものではあるものの、
順位付けとしては上にあるものほど優先されなければならない。
ところがARKは別として、
多くの場合眼前の生命を助けるところに力点が置かれ、
より進めなければならない啓蒙活動が放置されている。
これでは卵にわとり論になってしまう。

逆に引き出すのではなく、殺されていく犬の頭数を目に見える形で、
犬の飼主の名前入りの日報として出すほうが効果的ではとすら考えてしまう。
(現行法制化では、そんな日報が出せるわけもないが。)
どれだけ助け出そうと、入り口論を整理していないと、
遺棄も虐待も殺処分も減りはしない。

情においては認めるが、
論理的に矛盾を感じている原因はこの辺りにあるのだ。

ひろしま事案は、衰弱していた犬を健康な状態にもどすまもなく、
家庭犬としてのしつけも十分に入れたとはいえない状況で、
それぞれ新しい飼主の元に送り届けて終わってしまっている。
わずか一団体が無謀な計画を推し進めたことは、
今後の救出活動、情においては認めてはいるかかる行動にも、
手痛い影響を残していくのではないかと思っている。

不透明な経理も問題だが、安易な譲渡姿勢がもたらす弊害のほうが大きいと思える。
こんご、ひろしまの犬を引き取った家庭から飼育放棄が発生した場合、
場合によっては、保護団体全体に与える打撃は致命的になるのではなかろうか。