『ごお』3回忌2007-09-23


『ごお』の晩年は『そらん』に触発されて豪快な飛び込みを見せていた。
これが癲癇に怯える毎日での一こまだった。
こんな姿が見たいから、僕は日常を一切変えなかったのだ。
それがよかったのか、悪かったのか、時々わからなくなる。
でも、『ごお』の姿には喜びが溢れ出ていた。僕は信じている。



写真は『ごお』が、もっとも『ごお』らしく写っている。
6歳の夏の写真だ。『そらん』が来る直前のころに撮った。
『ごお』は僕にとって、初めて真剣に付き合った犬となった。
ある人の言葉を借りれば、
『目の中に入れたり出したりして育てた』のだ。
僕にとっては奇跡の犬だった。


『ごお」が逝ってしまって早2年。3度目の命日がやってきた。
今でも、『ごお』を病院において別れた時の、
一緒に帰ろうといった顔は焼きついている。
去年の一周忌には、まだぼろぼろと涙か出てきた。
すまなさが、後悔が、いっぱい残っていた。
今日の法要では悲しさは感じるものの、涙となって落ちはしなかった。
ジョンの看病に悔いを残さなかったことで、 『ごお』に残していた『後ろめたさ』を、
ジョンが天に帰るときに一緒に持って行ってくれたようなのだ。
『ごお』のような犬に出会えたことが幸運だっただけでなく、
ジョンと出会えたことまで、幸運だったというしかない。
この幸せを運んできたのが『ごお』だったのだ。



できることなら、『ごお』ともう一度暮らしたい。
例え11ヶ月に渡った癲癇との戦いが繰り返されてもいい。
今度はもっと上手く対処できる。今度゜はもっと楽しんでやる。



もう一度だけ『ごお』の笑顔に合いたい。
夢見るような幸せなころに戻りたい。

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