2008年、初ドギパ2008-01-14

今日は冬らしく寒い一日になった。
昨日は雨だったから、おとなしく家でごろごろしていたが、
今日は大阪の天気は良好。
なので、ドギパまで一走り。

大分とクルマにも慣れたと思っていた「はいら」は2回吐いてしまった。
なかなかクルマに乗るのになれてくんない。困ったなあ。
「そらん」は到着したらすぐに「松山」君のところに行って、
挨拶もそこそこにマウントしようとする。
今日は怒られよった。しつこいからや。

メインランには秋田犬が2頭いた。
絶対「そらん」は生意気言うと思ったので、
休憩時間を見計らい、ずらせて入場した。

パトロールを一通りした後は、ずっと事務所を見つめる「そらん」。
「松山」君をじっと待っているのである。
まったく遊んでくれないからアジリティーコーナーに連れて行き、
無理やり遊んでみる。
上の空で飛んだり駆け上がったりしているけど、
目はずっと事務所に向けたまま。
飼主としては寂しい。

どうしても「松山」君のところに行きたいらしいので、
いったんランを出て、お茶を飲みに行く。
2頭とも手すりに係留していたら、
「はいら」のリードを「そらん」が噛み千切ってしまった。
ジョンのリードだったので、記念?に一本残しておこうと思ったのに、
噛み千切ってしまいよった。
後一本は姉宅に忘れてきたから、
彫らんように連絡しとかんと、ジョンとの思い出の品がなくなってしまう。

とりあえずクルマの中には予備のリードも入れているから、
1本噛み千切られてもあわてることはないけれど、
「そらん」の噛み千切る速度は速いし、
スチール製のリードがいるなあ。

3時過ぎまでドギパにいたけど、
小雪がちらつく天気で、芯まで冷えた。
「そらん」は「松山」君と遊べたから、まあ満足したろう。
「はいら」はファーロン君と一緒にボールの追いかけっこをした。
2頭とも、今日はそれなりに満足な様子。
いい顔で寝てはります。

「ずばり一言」って、面白いなあ。2008-01-14

1月13日付の「ずばり一言」。読んでみたけれど面白いです。
http://angels1947.blog104.fc2.com/blog-date-20080113.html
犬のマーキングがあれば、鹿やいのししは怖れて近寄らないそうです。
面白い話を聞きました。

ほぼ毎週のように言っているドギーズパークは、
犬の匂いがぷんぷんしているはず。
だけれどラン内には鹿の糞があるんだよね。
林代表の言い方だったら、鹿の糞なんて落ちるはずないのだけれどね。
犬の匂いがあったら鹿やいのししやサルは近寄らないんだって。
まあ新理論を聞かせていただいてありがたいことです。

サルを犬で追い払いもしたらしい。犬を怖れるようなサルですか。
大型犬を放したのかな?
さぞや近所迷惑に犬が吼えたことでしょう。
そんなしつけをした犬を、どなたに引き取ってもらうつもりでしょうね。
猟犬を連れ込んでいるらしい。
でないと、サルを見たら犬のほうがおびえてしまいそうなんですすがね。

なんだか林代表は野生動物の習性など知らないようです。
そのうちしっぺ返しされますぞ。

そもそも地元に対して、犬は連れ出さないと約束していたのに、
あぜ道などに犬を連れて散歩しているらしい。

ところで活動日誌では12月25日付で
http://arkangels.blog34.fc2.com/blog-date-20071225.html
したから24行目で

「*施設の保護犬を外で散歩させている。」
回答:全く嘘です。一回も施設外に出た事はありません。
ボランティアさんが飼われている同伴犬だと当然、外から来ますので、外を歩いています。

と、書かれています。
「ずばり一言」では

毎朝、6時に起きて7時前後にはワンを3~4頭連れて、近所の田んぼの廻りを散歩しています。

なんだそうです。

まっ、この程度の矛盾などAAの手にかかっては軽いものなんでしょうね。

地元の人がAAに依頼したという事実は、あるようには見受けられません。
よしんばあったとしても、作られた会話に限りなく近いでしょう。

ああ、そういえば「記念植樹」にも触れています。
途中経過として乗せたんなら、せめて進捗状況も合わせて書きなはれ。
慰霊碑デザイン募集も追加募集していたのに、
応募してくれた人への報告もせず、サイト上から消してしまっている。
「ひろしまドッグぱーく」募金と同じことを繰り返しているところに、
引っかかりますなあ。

応募したデザインのうち不採用にしたものくらいは、本人に返しなさいよ。
著作権については、「団体に帰属します」と書いていないから、
応募者にあるの忘れないようにね。
って、選ぶほど応募があったのかね。

「はいら」を迎えるときの気持ち2008-01-14

「はいら」が家にやってきて75日が経った。
すっかり甘えた顔になって、「そらん」を押しのけてかまわれたがる。
あんまりにもアピールするものだから、
意識して「そらん」を抱きしめてやらないといけない有様。
あいも変わらずお座りも伏せも、その他の芸のひとつもないままだけれど、
物怖じしない性格でもあり、ご近所さんからは可愛がられている。
このあたりは気難しくなってしまった「そらん」とは違う。

「はいら」の顔が、「そらん」の若いころに似ているといわれた。
飼主としてはわからないが、同じ表情をしているということと思う。
「はいら」はゴールデンらしい整った顔立ちなのは確か。
「そらん」の規格外な顔とは大違い。
「ごお」がいた頃の「そらん」と「はいら」が似ているというのは、
もひとつぴんと来ないよ。

さて、「はいら」はすっかり僕の犬として主張している。
そんな今だから明かすのだけれど、
「はいら」を迎えたとき、実はとても悩んでいた。
ジョンが逝ってしまってすぐなのに、犬を迎えることに躊躇いもあった。
迎えるとしてもどのような犬を迎えるかにも悩んでいた。
もういちど高齢の子を引き取ってみようかと考えていたのだ。
だから生後7―8ヶ月の「はいら」を求めてよいのかと葛藤があった。
いくら「そらん」のためにも2頭飼いを復活させたいと思っていたにしても、
新しい犬を子犬で買い求めるべきか、
何らかの事情で飼育困難な犬を引き取るかで悩んでいたのだ。
できれば引き取ってやろうという意思はあったのだ。

子犬から付き合うというのは楽しいことだ。
「そらん」との暮らしは、子犬から暮らしていればこその交感がある。
その違いはジョンとの関係と比べたら明らかなのだ。
言葉にはできない部分で、絶対の壁がある。
子犬から育てるのと、成犬を引き取ることでは、差が厳然とある。
子犬から飼う喜びは捨てがたい魅力がある。

その一方で、ジョンを引き取って暮らし始めるうち、
どんどん表情を変えていき、すっぽり家族になっていったことは、
犬と暮らしている中での新たな発見であり、
もう一度、試すのも悪くないと思っていた。

新しい飼主を探しているサイトには、
途中で飼育困難となったゴールデンが何頭もいる。
すぐに健康が落ちて行くかもしれない。
また多額の医療費に悩まされるかもしれない。
「ごお」、ジョンと立て続けに喪う過程で、300万円近くの出費があった。
老犬を引き取ったとて、必ずしも医療費が多額になるわけでもない。
が、看取るときの苦しさは、できれば数年は避けたい。
それでも僕が飼うことにしたら、悲しい顔が輝いていくも、
なんて考えたら、引き取ることを考えたいと思ったのだ。

とっても気になるゴールデンがいた。8歳9ヶ月にもなったゴールデンだ。
おそらく引き取り手を見つけるのは困難を極めるだろう。
老犬の仲間入りをした犬を引き取るなんて、
楽しい時期が残り少ないとわかっている。
普通の人でしかないものには、中々できることではない。
盲導犬の退役犬だって、引き取りボランティアを確保するのは難しいのだ。
社会的意義が高いものであっても、
十分な引き取り手の確保は困難だ。
できたら引き受けてあげたいと思っていた。

だけれど、AA発の動物愛護界の不実を目の当たりにしてしまったため、
愛護団体が介在しているから、連絡を取るのに躊躇した。
ジョンを引き取る際に、いくつかの団体とのやり取りで、
そこから見えてきていた思い上がりにも腹立ちを覚えていた。
その団体について調べても、質が良くわからなかった。
団体への信頼をもてないでいては、連絡するわけには行かない。
で、結局は連絡をとるのは見合わせることにしていた。

そうした気分のままで、「そらん」と一緒に旅に出たのだ。
「犬の牧場」で牧場主よりいい犬がいるよと告げられたとき、
ここから求めようという気持ちと、高齢の犬を引き取ることの間とで、
僕は揺れていた。
強い勧めがあり、旅館で「そらん」と一緒に「はいら」と過ごした結果、
「はいら」を買う決心をしたのだ。

アークエンジェルズが「ひろしまドッグぱーく」を大団円で終わらせていたら、
またたび獣医団がブルセラ犬問題であんな活動を展開していなければ、
AAやまたたびがWan lifeの不正を指摘していなければ、
僕は動物保護団体の活動を調べることはなかったろう。
調べてしまってわかったのは、掲げる目標と活動の乖離の大きさ。
その活動に対して、全うな批判が実に多いこと。
個人でできることをしている活動以外、
保護団体と名乗る団体の多くに哲学・倫理観がないものが多い。
ペットショップ経営者が保護団体を兼ねているなんて、
いったい何事なんだ。
個人の家の拡張のため支援金を募るとは何事だ。
団体間の足の引っ張り合いも見苦しい。
人が大切にされていなければ犬を幸せになどできやしないのに、
人を幸せにしようという視点がないヒステリックな活動もある。
あるのは支援要請につぐ支援要請。
助けているのはブリーダーからの廃棄犬。
たまに野犬を助ける活動があったところで、
前提にあるのは引き取り手があることだ。
野犬を帰るだけの知識と技術と時間と愛情を、
責任を持って犬に費やすことができるとは思えない。
保護団体には目的が転化してしまったものがある。
群がる者たちの活動もバランス感覚のない主観論ばかりに見える。

そんなこんなが、僕の気持ちを行動に移すのに抵抗を持たせた。
保護団体に連絡を取り、個人情報を渡すことは危険だと知った。
連絡を取って、データを悪用されるのはかなわない。
無心を受けるのも不安である。
それでも助けてあげたい。引き取ることが犬にも人にも光明になる。
メールを書きかけて破棄したこともあった。
その犬は今でも募集サイトに掲載されている。
気にはなるが、「はいら」を迎えた今、3頭を同時に飼う財力はない。
偽者を放置している現状が、僕を引き取り手にならせなかったのだ。
AAなどという団体があるばかりに、引き取りに踏み切れなかったのだ。

僕の余命から考えて、「はいら」が最後の犬になる予感がある。
「そらん」はまもなく5歳。10年後には天命を迎えていよう。
その頃になると大型犬を子犬から飼うだけの体力は、もはやあるまい。
あと一頭と思っても、もう無理だろう。
それでも老齢期に掛かった犬なら、
もしかしたら一緒に暮らせるかもしれない。

そのときまでに、現在の保護団体が淘汰され、
哲学と倫理観を確立し、信用の置ける団体になっているよう望む。

保護活動を薦めていくことに熱意があるのなら、
そういう人たちには、本当にお願いしたい。
団体の自主基準を作成し、評価基準を作って欲しい。
業界で苦情処理機関と改善勧告が出せるような仕組みを構築して欲しい。
悪質ブリーダーを、個々の家庭での虐待を告発する機関は、
当然、自称保護団体を規制するべきものであろう。
アニマルポリスの設置に賛同しているような団体なら、
保護団体もまたその対象に組み入れるべきものと判断できるだろう。

そうした自浄力を作り出せない保護団体の世界であるのなら、
保護活動などに手を出していただきたくない。
いまだに動きを感じ取れない現状。
保護団体とは理論も方法論もない人の集まりなのか?

バッテリー Ⅴ2008-01-14

あさのあつこ   角川書店   476円

全巻までの感想は以下の通り。
バッテリー   
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2007/06/16/1582055
バッテリー Ⅱ
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2007/12/03/2469986
バッテリー Ⅲ
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2008/01/02/2542319
バッテリー Ⅳ
http://kumaneko.asablo.jp/blog/2008/01/08/2551139

で、今回は5巻。

ギクシャクしていたバッテリーが変化していく。
覚悟を決めた豪と、豪の覚悟で何かが変わる巧。
二人の関係は、友達ごっこにはならず、敵同士でもない。
自分のすべてで投げ、受け取る、
油断したらすべてが飲み込まれていく、そういう関係になる。
一度は巧の球から逃げ出そうとした豪は、
見事なまでの覚悟を決めて向き合う。
その豪の覚悟に呼応して、巧の球は荒ぶる。
荒ぶる球とは裏腹に、巧みは孤立から融和ではない新たな心を得る。
二人がバッテリーとして、新たな一歩を踏み出していくのだ。

途中で没収試合となった横手2中との再選が、
海音寺と瑞垣の間で進められていく。
純粋に野球をする喜びに魅せられた中学生たちは、
自らの医師で歩き始めた。

中学生が、ここまで強い意志を持ちえるのか、
過去を懸命に覗いて見たが、答えは見つからなかった。
こんなに一途に進みきる強さを、
過去の自分は持っていなかった。周りにも見出せなかった。
ここにいる少年たちは、存在しているのかと、疑問が涌いてくる。
周囲に、これほどの犠牲を強いる才能があるならば、
才能に出会ってしまったものは不幸なのかもしれない。